ローラシア共和国成立まで

国の興り


大陸北西部の原住民(漁業民)と中央部の山岳地帯に住む原住民(遊牧民)、南東部から移動し、定着した移動民(農耕民族)がそれぞれ集落を築き、やがてそれぞれの王国として勢力を拡大する。
 
ローラシアには都市国家という概念は比較的少数的であった。
多くの場合は
1.力を持った村落が周囲の集落を併合し、やがて都市となって統治下においたいくつもの村落とその周囲の土地を治めた。
2.勢力が強くなった他の村落群に対抗するためにいくつもの村落が結束して広い面積を統治するようになった。また、その中心的な位置になった村落が発展してやがて都市となった。

この2つのパターンによって領土が形成されていった国家が殆どで、多くの場合中心に一つ都市があり、その周りの土地にある村落をその都市が治めているという形態である。
故にルインブルグのような完全な都市国家は非常に珍しかった(レールダムも一応都市だけでなく湖畔沿いの周囲数kmの範囲を領土としていたものの、実際は街道が通っている以外殆どがひたすら森や平原で人が住んでいる都市(集落)はひとつのみ)
その為、淘汰されて3王国に集約されるまでは無数の小王国や小国家連合が存在していた。

(  )年頃~三王国時代の始まり。  


東南部レベルト王国が内紛によって崩壊、現ウェスタリウスに王都を持ヴェルカヌス王国に併合される。
ほぼ同時期に、西部でも海洋王国セイラン王国が中南部山岳地帯にあるアーケナス連合王国を破り併合、ここに北東部の強国レグミア王国を加え、三大勢力が誕生しローラシア共和国の起源点が生まれる。
 

(  )年~ 百代大乱の勃発。


 西のセイラン王国と東の南ライセル連合帝国(ヴェルカヌス王国より国名改称)が約18年にわたって全面衝突(大規模な戦闘は9年程で両国とも国力疲弊のために終結したものの、中、小規模な戦闘が続く。)
戦闘終息から約2年経った後、かつてのアーケナス連合王国の首都で中立都市のルインブルグにて両国の間で無期限停戦条約が締結され、百代大乱はここに終結。
暁の盟約(ルインブルグ停戦協定)より10年後、両国とも先の百代大乱により崩壊寸前の状況下、戦争終結から10年たっても両国とも一切の交流もなく、国境で睨み合いが続いく。
 

三王国時代の終結


この頃、戦乱の流れをかわし、着々と国力を拡充していくレグミア王国に対し、両国の間にはそれぞれレグミア王国が、永きにわたって続いた戦乱によって疲弊しきった両国を侵略するのではないかという懸念が広がる。
実際レグミア王国は当時の国王が内政を最重要視していた為にその意思は無かったのだが、その当時の状況はその懸念に現実味を持たせていた。(他の二国が疲弊しきっている傍ら一国だけどんどん富国となっている)
 やがて、この状況を危惧したライセル連合第5代皇帝カノール四世は、早急にレグミア王国の打倒が必要と考え、まずは両国の国交樹立と共同戦線の確立が急務という結論に至った。
それにあわせ、つい先ほどまで殺し合いをしていたような国に皇帝直々に直筆の親書を携えて訪問するなどどう見ても自殺行為に等しかったが、危険を押して実行。
この時ほぼ同様の結論に達していたセイラン国王は皇帝の勇気を称えると共に、ライセル連合第11代皇帝カノール四世の提案にセイラン国王ルーゲンが応じ、次の項目において同意、調印を行い、ここに南北大同盟が成立する。

締結内容の概略は次の通り。
1.両国とも戦乱の禍根における交渉は一時的に保留とする。
 これは両国に対し同時に迫った脅威に対抗するために必要な処置である。
2.両国の総力を結し連合軍を組織する。
 これにより編成される大軍を持ってして卑国家レグミアを掃討する。
3.レグミア掃討の暁には、かつてのレグミア領を両国で均等に分配すること。
 この際得られた領土以外の戦利品についても両国で対等に分配する。
4.この同盟を成し遂げた後、新たな同盟を締結し、双方共に戦後復興に努めること。
 両国の隔たりを廃し、戦後復興に共同歩調を取る事が最も好ましい。
これはレグミア以外の外国家(南の王朝群や東方諸国)もまた今後脅威になりうる恐れがあるため早急なる国力回復が必須であり、将来的に相互にとって国益になるからである。
 
南北大同盟成立後(  )年。
ついに南北同盟連合軍が進撃を開始。
両国ともかなり回復してきたとはいえいまだ疲弊しており、また両国が争っていた時期にひたすら富国に勤めたレグミア軍がそう簡単に侵略を許すわけもなかったが、明らかな兵力差によってレグミア側に徐々に被害が増えていった。
( )年 多大な犠牲を払いながらもレグミア王国の壊滅に成功。

この時、各地で虐殺や略奪、村落の焼き討ちが横行し、今日の反本土感情の根底となる。
そして国を追われたレグミア人達は大陸の北部海上に浮かぶエイゼル諸島へと逃れていった。
 
レグミア王国滅亡後、両国は南北大同盟に代わる同盟である、薄明の盟約を締結。当初批判や不信が相次いで噴出したものの今後復興に対し相互に全面協力することで合意した。  

グレーマルの反煙と国家の礎。 


( )年、セイラン王国にて、今だ残る戦後の混乱と復興に気を取られていた隙に覇権復古派の武装組織が周辺住民を扇動して巻き込み、首都グレーマルで武装蜂起し、王宮をはじめ首都の主要施設を制圧する。
このクーデターによってルーゲン国王は幽閉されセイラン王国は事実上崩壊(グレーマルの反煙)。首都を制圧した反乱軍によってルーゲン王が処刑されると同時にライセル帝国はやむなく臨戦態勢で国境封鎖。
同時期に、反乱軍は正式にアズグリア共和国の樹立を宣言。

ルーゲン王処刑から1年4ヵ月後、ライセル帝国から支援を受けた前国王派が反抗軍としてセイラン各地で反攻を開始。ここから8年に及ぶ内乱に発展する。
(  )年、2月、アズグリア勢力下の小都市アラドベリ陥落を期に形勢が逆転、各地で反抗軍がアズグリア軍を次々と撃破。ここから各地の民衆も次々放棄し、それを逐次吸収していった反抗軍の数はどんどん膨張していった。
(  )年、8月、ライセル帝国の協力の下、ルインブルグ奪還、そのままライセル軍とともに首都グレーマルへ侵攻、翌月、グレーマルを制圧、元反乱軍リーダー他28名を拘束し、半数を処刑した。

(  )年、反抗軍の中心人物であったディンゼル・マルクを中心とした国家を新たに樹立。
首都をディルゴーデン(現グランマルク)と改め、アスペリア共和国と命名され、これを承認したライセル帝国が後ろ盾として正式に支援を表明する。
しかし同時期、今度はライセル帝国では後継者争いに端を発する政情不安が徐々に色濃くなりつつあった。
そしてアスペリア共和国成立から2年後、病による皇帝の急死にあわせ皇子ラヴィアル派が挙兵、内乱が勃発する。

(  )年、ライセル帝国は長きにわたる内乱により事実上崩壊していて行政システムも殆ど機能しておらず、国防も敵対陣営の出し抜きを警戒して積極的に動こうとはしなかった。

また、内乱による帝国崩壊を好機と見たローデベルタ王国による侵略にもされされていた。
この時、アスペリアに亡命してきた平民や貴族達がアスペリア共和国政府にとある嘆願書を相次いで提出する。
それは民衆の決起計画書と介入嘆願書。(後継者争いで全国民を巻き込んでの内戦を続けるライセル帝政に国民達は完全に愛想を尽かしていた)
 これについて共和国議会は慎重な議論の結果介入を決定。
翌年3月に共和国軍がライセル帝国へ越境してまずは南部から進撃を続けていたローデベルタ軍を撃退。
その後転進し、アスペリア軍のウェスタ-レリウス入りを待って平民達やアスペリア側についた軍閥貴族が各地で決起し、アスペリア軍も制圧に協力。
 ライセル動乱は意外な形で終結する。
ライセル帝政終了後、崩壊状態にあったライセル帝国の処遇について、両国で行われた国民投票の結果アスペリア共和国と併合することが決定する。

( )年( )月( )日、ライセル帝国併合~ローラシア共和国の成立


これに伴い国名を大陸聖教における泰平の第二神ローラスにちなんで、ローラシア共和国と改名。
首都はディルゴーデンから動かさず、また旧ライセル帝国の愛国者に配慮した形でウェスタ-レリウスを第二首都と定める。
また、この時アスペリア共和国のものをベースに再制定されたものが現行のローラシア連邦共和国憲法の元となるローラシア共和国憲法である。

後のディンゼル・マルク死後、これらの併合を成し遂げると言う偉業の最大の功労者であり、その後も偉大な指導者であった彼を称えて、彼の跡を継いだケルク・オルマンにより首都名をグランマルク(偉大なるマルク)と改称された。

  • 最終更新:2008-09-11 12:20:56

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