教育(大才帝国)

教育制度

初等小学校

尋常小学校

中等学校

高等学校

大学

□12帝国大学

 大才帝国には、12の帝国大学が存在する。
 3520年施行の帝国大学設置令に基づく。
大学名 創立年 備考
レゴスタリア帝国大学 1144年 レゴスタリア修学堂から継承
サンリバー帝国大学 1251年 アラカトロナス教場から継承
マンドリア帝国大学 3570年 マンドリア水学校から継承
メーデル帝国大学 3520年 帝国大学設置令による
アルゼウス帝国大学 3520年 帝国大学設置令による
東グラード帝国大学 3520年 帝国大学設置令による
フェルデノスク帝国大学 2284年 フェルデノスク公国大学から継承
ライナー・ハーバー帝国大学 3520年 帝国大学設置令による
グラーリー帝国大学 3520年 帝国大学設置令による
ヴァルテ・ノイン帝国大学 3520年 帝国大学設置令による
スタッテンフェルト帝国大学 3520年 帝国大学設置令による
スメリア・ローゼント帝国大学 3544年 スメリア国保護条約による



学校教育におけるいじめから社会問題へ発展したケース

高等学校3年 A生徒の場合

 本件は、いじめ問題に対する帝国政府の姿勢を大きく変えるものとなった。
 この事件後、サンリバー大学教育学部教授D氏が、『国民擁護論』を発表したことにより、世論はこれに同情。多くの国会議員が真剣にこの種の問題解決に向けて取り組み始めた。


□同級生による苛烈ないじめを受ける。

  • 加害者:生徒7人グループ
→A生徒は自害



□帝国政府による政策・取締法制定に至る経緯

  • A生徒の遺族による告発を受け、中等裁判所にて裁定、判決。

    • 「A生徒を死に至らしめるまで追い詰めた加害生徒7名の行動は、極めて悪質であり、厳正な処罰を以って、自省を促す必要が在るものと認む。」(中裁による判断)

    • 学校教育者(担任教師、教頭、学校長)の解任処分

    • 加害生徒保護者らの家庭教育責任に対する処罰

    • 加害生徒7名らの禁錮刑


  • 被告らの上訴、上等裁判所判決

    • 中裁判決に加え、加害生徒保護者らへの実刑


  • さらに上訴、大審院判決(教育問題において異例の三審)

    • 「本件は、帝国憲法第1条が定めるところの『幸福に生活を営む権利』、また『教育権』ならびに『生存権』を侵害する行為であり、教育を通して行われる国民秩序形成を大きく乱す行為。加害生徒らとその保護者、ならびに学校関係者らの行為は、帝国政府の目的とする国民教育を大いに阻害するものであり、帝国に対する反逆行為として厳重なる処罰を与えなければならない。」(上裁の判断)


  • 帝国議会による『労働・教育権擁護法案』の承認

    • 苛めまたはそれに準ずる行為をしたる者は、皇帝陛下より付与されし全帝国国民の有する労働・教育権を侵す行為であり、帝国政府の目的とする国力安定、またそのための国民教育を阻害したる行為であるため、国体変革者として厳重なる処罰を受けるものとする。

    • 加害行為者が未成年の場合、その保護者は、国策不従の家庭教育上の責任として厳重に処罰されるものとする。

    • 被害者の勤務所、学校教育機関は、1ヶ月以上、半年以下にわたり、公安警察による監視・指導を受けるものとする。




B男子生徒の事件例 皇帝陛下を動かしたいじめ問題

□事件の経緯

 ミスタリア州メーデル市内の公立中学校に通うB生徒は、同校の生徒らに苛烈ないじめを受け、登校拒否に陥った。また転校を激しく希望していたが、B生徒の保護者は、いじめを行った生徒らに対し、下等裁判所へ民事訴訟を起こそうとした。しかし、この保護者の行動を、市の教育委員会が妨害し、また教育委員会との水面下での金銭取引によって下等裁判所も書類の受け取りを渋った。



□自治体の非協力

 本来公平な立場にあるべき下等裁判所の態度に、深い怒りと嘆きを覚えたB生徒保護者は、メーデル市の市長へ請願書を送るが、回答は無かった。
 地元自治体の態度に呆れた父親は、息子を連れ、サンリバーへ上京した。



□皇帝直訴

 上京して1週間後、陸海空軍合同の対ゴルニア戦勝記念パレードが帝都中央公園で開催された。皇帝陛下も出席する予定で、正午、スペルギアⅩⅡ帝を乗せた公用車が公園の正面入口から入場した。
 沿道の多数の群集の中を掻き分け、父親は、その車列に向かって、大声で訴えかけた。
 父親はすぐさま警官隊に取り押さえられたが、沿道から惨状を見ていた息子が、いじめにより右足を骨折させられていたにも関わらず、必至で歩み寄り警官隊に父親を解放するよう嘆願した。
 
 この状況を見ていた多くの群衆は、B生徒保護者の訴えと息子の惨状に理解を示し、警官隊ともみ合いを起こす。しかし、まもなく陸軍憲兵隊が到着し、事態は収拾された。
 この騒動により、B生徒保護者を含む、7人の逮捕者が出た。



□スペルギアⅩⅡ帝の対応

 だが、B生徒の父親の訴えを車内から耳にしていた皇帝陛下は、事件の惨状を哀れに思い、枢密院を通して、メーデル市教育委員会とメーデル下等裁判所への調査を勅命した。

 後日、金銭取引が明るみなり、警察局は教育委員会ならびに下等裁判所関係者らを逮捕した。



□マスコミの皇帝批判

 一連の事件を、マスコミはスペルギアⅩⅡ帝に対し、「権力の私的乱用」であると厳しく批判的な態度で報じた。これを受けて、皇宮府は記者会見を開き、皇帝詔勅を発表した。



□スペルギアⅩⅡ皇帝陛下による詔勅(一部)

 「朕、民衆の総意に基づく国家を理想とするも、裁判所が国民の訴状を受諾せず、又教育委員会が義務を放棄する事態為らば、朕動かざるを得ず。朕、全国民が幸福に暮らさんことを願うゆえ、此処に苛め行為の終焉を宣言す。」



□世論とその後の影響

 拘留11日目、B生徒の父親を始め7人の逮捕者は「逮捕等の理由無し」とされ釈放された。スペルギアⅩⅡ帝の計らいであったことは言うまでも無い。
 詔勅発表により、スペルギアⅩⅡ帝は国民から厚い信頼と愛国心を得ることになった。また、世論は、皇帝批判を行ってきたマスコミの報道に対し、厳格な姿勢を取るようになった。

 また、刑事事件として扱われたため、メーデル市の公立中学校の加害生徒らは逮捕された。

 苛め問題が元首まで動かした本件は、世界史上、稀有なケースであるといえよう。

  • 最終更新:2010-01-21 22:57:28

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