歴史(大才帝国)

原始文化から文明へ

 西南地方の火山灰の堆積層から石器や土器、人骨が見つかっていることから、古くからこの地に人々が住んでいたことが窺える。
 出土した人骨は、考古学的観点から古ダイジェナップ人のものであり、かつて気候変化に伴う民族大移動の末にたどり着いたと推測される。
 古ダイジェナップ人は、食物採取のため河川に沿って小規模な移動を繰り返しながら生活を営んでいた。
 その後、狩猟のために大型動物を追って北方よりこの地にたどり着いた新民族と古ダイジェナップ人との混血を繰り返し形成されたのが、ジェスメック人である。
 ジェスメック人は、早い段階から狩猟や植物採取の獲得経済を脱し、農業や畜産などの生産経済へと移行した。
 その過程で、収穫高の記録や計算の必要から文字や数学が発達し、やがて高度なジェスメック文明を築いた。


古代国家の誕生

 しかし、ジェスメック文明は、軍事的性格が強かったため、それが周辺の他民族を刺激し、戦乱の世に入る。
 その後の記録が300年ほどなく(空白の300年間)、真相は不明であるが、ジェスメック文明は滅亡し、侵入民族ゴールマ人ゴールマイア王国を建国すると戦乱は終息した。
 しかし、ゴールマ人はジェスメック人を酷使したため、ジェスメック人らが蜂起し、ゴールマイア王朝はわずか4年で滅亡した。
 ジェスメック人は、他民族による支配を嫌い、世界の創造主・大神皇セァウィカウォの血を継ぐとされるナートを王位につけ、都市国家アラカトロナス(現:サンリバーシティ)を建設した。
 大陸西部が三王国時代に突入する一方、大陸東部のアラカトロナスでは商業と貨幣経済が繁栄し、王族、貴族、武民、農民の身分統制による社会秩序が出来上がった。
 アラカトロナスは、古代都市としてはかなりの規模であったと推測されるが、南部の地にグルスタ人クレソロス南朝を建国すると、ジェスメック人は軍備を整えて警戒した。
 国王ナート2世による南族征討命令グルスタ人追放命令)を機に、アラカトロナスの武闘官(貴族出身の軍事指導者)らは武民を率いてクレソロス軍と交戦状態に入った(南族征討)。
 アラカトロナス軍はクレソロスの王宮周辺にまで攻め入り、ついに屈服させた。
 ジェスメック人は、いったんグルスタ人の土地や財産を全て没収し、その上で農地を配分し、ジェスメック人の農民階層と同様に扱おうとした。
 だが、この政策はクレソロスの王族や貴族たちを含む全てのグルスタ人に適用したので、しばしば反乱が起こった。
 ナート2世が亡くなると、翌年からナート2世の子のチューゼ王子とナート2世の叔父サーメンツとのあいだで王位継承をめぐって戦いがおきた(王位継承騒動)。
 サーメンツは、旧クレソロス南朝の上流階級者らの名誉回復を公約したため、グルスタ人から強く支持されたが、かえってジェスメック人の反発を招き、数で勝るチューゼ王子の率いる軍に敗れた。
 チューゼ王子は、グルスタ人勢力を抑えるためクレソロスの地に都城レゴスタリアを建設し、遷都に伴い、そこで即位した(レゴース1世)。


国家機構の形成

 レゴース1世は、神聖才教の聖書「才の学び」を編纂し、布教とともに宗教権威による内乱鎮定に努めた。
 レゴスタリアとアラカトロナスを結ぶ交通制度として、国路が整備され、地方へ向かう道も作られたため、都市国家の体系は崩れ、広域な土地を統治するようになった。
 またレゴース1世の時代に、政治のしくみもほぼ整った。
 中央行政組織は、行政全般を管轄する執政官と軍事指導者としての武闘官、宗教監督の聖職官の3官が設けられ、執政官のもとで、12人の官吏が政務を分担した。
 それらの職掌は、全て貴族階級が独占した。

 この頃、西方からわが国にたどり着いた遊牧民ウェーク族が、そのまま定住し、やがて彼らは牧畜業を営むようになった。
 ウェーク族が生産する山羊乳は良質で、大変需要が高い上に生産量が低かったため、中央官吏の貴族らがこれを独占したが、各地で民衆が度々暴動を起こした(山羊乳一揆)。

 レゴース3世が、即位して間もない頃、古スメリア王国の商船が、国王の書簡を持って、アラカトロナスより東方50kmにある海港リエールに、寄港した。
 この翌年から、古スメリア王国との貿易をはじめ、商人は富を蓄えるようになった。


古代都市アグオンの発展

 アグオニアと名乗る共和主義的性格の強い西方ジェスメック人らは、古代都市アグオンを建設した。彼らは平等主義を掲げ、市民による合議制を敷いた。出土した人骨のすべては、丁重に葬られたもので、虐殺された遺骨は見つかっていないことから、貧富の差や身分階級の差は無く、政治権力、軍隊も持たない、平和的な社会が形成されていたことがわかる。
 この都市は、上下水道が完備されており、ダストシュートのような構造物はごみを簡便に収集場に運ぶことができた。定期的なごみ回収作業も行われていたことから、非常に良い衛生状態が保たれていたことがわかる。また、都市内のほとんどの道路が石による舗装がなされており、今でもその遺構が残っている。


※国際暦3654年、州内の12大学共同のフェルデノスク歴史研究会による調査で、フェルデノスク市より西方130kmの地に、巨大な都市遺跡が見つかった。最新の研究では、レゴスタリア朝の歴史書物『西方盛紀』から確認されている「阿虞遠」の文字は、古代都市アグオンを指していることがわかっている。

 

武民・傭兵の台頭

 国際暦241年、レゴース4世は、海港リエールにレゴスタリア軍を設置した。
 当時、軍人は武民と呼ばれ、国防に重要な役割を果たすようになった。
 主な任務は、リエール港の倉庫群や、海港周辺の警備、貿易の監督などであった。
 この武民は、中小農民出身層を中心としていたが、レゴース5世の時代には、武民は役割の重要性から上級身分扱いとされ、次第に政界に影響を及ぼすようになっていった。
 また、貴族らは、武民を金で雇い、私邸の警備に当たらせたりした。これにより、各地の武民は、次第に自立の気質が強いへ傭兵へと成長した。傭兵は、各地の地方貴族や豪族と結びついて、中央政界が無視できないほどの勢力に成長するものもいた。


軍事国家化と貴族の反乱(編集中)

 国際暦310年、レゴース7世の弟、グラルディヴは、自分の処遇の酷さから反乱を起こし、私兵と傭兵の連合軍を率いて、都城レゴスタリアに攻め入ったが、最終的にグラルディヴの軍は、レゴスタリアの国軍に降伏した。このことを受けてレゴース7世は、各地の傭兵を解散させ、国軍のみに従事するように定める「傭兵禁令」を発布した。
 しかし、各地の貴族の強い反発や、貴族に同調する傭兵の反乱がしばしば起こった。その中でも特に規模の大きかったジュディアヌスの乱では、ジュディアヌスがグラルディブ軍に同調して、自らの傭兵を率いて、リエールのレゴスタリア軍を襲撃し、同軍を降伏させた。この乱は、ジュディアヌスらの投石により市街地の半分を壊滅させるほど、大きな破壊活動が行われたことが伝えられている。


(この間の歴史は編集中)



独裁政治の時代

□第一次恐慌

 国際暦****年、新たにスペルギア10世が即位した。この時代、皇帝は国民的・文化的統合の象徴(シンボル)としての側面が色濃くなっていた。
 また、貿易は領土防衛戦争の終結と共に輸入超過に転じており、大才経済は不況から切り抜けることが難しくなっていた。帝国第一銀行は、手持ちの手形が決済不能となり、これを各新聞社が大々的に報じたため、取り付け騒ぎが起こった。国民は経済不況が続く不安から、中小銀行の貯金を引き出し、都市銀行など大銀行へ口座を移そうとする動きが高まり、各地の地方銀行はしばしば倒産へ追い込まれた。
 こうした影響は、第一次恐慌を招き、資本の独占、寡占化を促すこととなったため、三大銀行財閥の形成へと向かわせた。
 ジョーゼ・ウェノミャ内閣は、大才帝国銀行の特別融資を行おうとしたが、帝国議会の了承が得られなかった。また、この年の夏、領土防衛戦争末期より農薬や殺虫剤の供給量が激減した大陸南東部で、農作物を食い荒らす害虫が大量発生し、大凶作や大飢饉に見舞われた。農作物急騰によりスタグフレーションに陥った一方、工業製品分野では深刻なデフレスパイラルに陥ったため、国民所得が低下しているのにもかかわらず食料品が高騰する現象が続き、第一次恐慌は史上最悪のものとなった。


□世界の動向

 大才帝国は、領土防衛戦争を以って第1次ゴード大戦(3570~74年)に参戦していた。領土防衛戦争で敗戦したナゼス=ダルカ帝国は、多額の賠償請求に苦しみ、深刻な経済危機に陥った。大才帝国は賠償金を受け取ったものの、各協力国の圧力により分配させられたため、取り分ははるかに戦災には見合わず、極端に少なかった。
 この大戦以前から、大才帝国資本中心の経済が、圧倒的世界支配色を帯びていた。しかし、大才帝国は、低額の賠償金しか受けられなかったこと、国内で第一次恐慌が起こったことにより、各国の資本家が大才帝国から身を引き始めた。この影響によって、これまでどおりの世界経済の中心を担う者がいなくなり、世界全体で深刻な不況に陥ることとなった。
 ローラシア共和国やゴード=ダルカ帝国(現:南ゴード)は、自国の経済圏保護を推進するために、寡占貿易を始めた。これにより、経済圏は、①大才帝国経済圏 ②ローラシア共和国を中心とする大陸西方の経済圏 ③ゴード=ダルカ帝国の経済圏 ④桜華人ネットワーク(在外も含む)による経済圏が形成され、それぞれの他の経済圏とは全く取引を行わないか、行ったとしても高額の関税をかけて対向したため、各国の関係は悪化していった。


ジェヌアドア大地震と大才帝国(編集中)

 大陸南東部のジェヌアドア王国(現:王連邦)で、マグニチュード7.8の大地震が発生した。死傷者780万人で、また多くの難民が発生した。

  • 最終更新:2010-08-15 00:59:09

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